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なにが言いたいのか

 まー、珈琲豆屋でよかったと思うひと時ですねー。けっこう何を言っても戯言ですませてくれる。

 ようするに、神が万物を創造したもうたから神を信じるのではないと思うのですよね。

 神の万物創造を考えついた人間の考え方そのもの(決して人間自身ではない)を信ずることが社会の中での人間を癒すのではないかと思うのです。

 しかしながら、一番信じられないのが人間でもあるのだしなー・・・。

 神がいるとかいないとか、神が万物の創造者であるかないか、それは実はどちらでもよいのだと思うのです。信じることのみが大切なのです。えーっ、へんなのぉー、と言わないこと。

 変だからこそ信じられるということもあるわけでして・・・。

 社会というのは神様の創ったかもしれない人間が便宜上こしらえた、あるいは自然発生的にできあがってしまった、まさに科学によっても、宗教によっても決して解明出来ない恐ろしいものであるらしいのです。

 生きた人間というのは、私の知る限り、この世で一番恐ろしいものかもしれません。

 テリー・イーグルトンの言葉を借りれば、神とは「現実世界を変革するという使命を提示する」ものであって、その御前にて「妨害された欲望を表明しながら、同時にその欲望を別のものにすりかえてしまう」対象ではないといったところでしょうか。

 してみると、やはりそれを思うのは人間自身でしかないのであって、神の側の問題ではなく、しかしながら神が存在するとかしないとかでもないといったところでしょうか。

 考え付いたと言うと不遜かもしれないが、それこそが社会の中で希望をもつことが出来るための根本なのだと思えてくるわけです。

 神様がいると信じるのも人間だし、信じようとしないのも人間なのですね。

 この堂々巡りの自業自得野郎は、神様でもキリスト様でも、仏様でも雨でも槍でもどうにもこうにも・・・。

 そうだ、ポワトリンを呼ぼう。


 

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